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スピリチュアル・ファンタジー

『風の杜子春』 −「天路歴程」 神仙篇−
   

真屋 晶著
ISBN978-4-86103-054-3-C0014 
四六並製 初版/2007年12月
2000円+税
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今、時空を超え空寂たるタオ仙道の宇宙へ――
中国仙境を舞台に展開する、波乱万丈の求道物語。
秘教ファンタジー大作『天路歴程』佳境の第四弾!
龍が翔び妖怪がばっこ跋扈する霊峰峡谷で、若者の試練が始まる。




目次より
前編 霊峰の彼方 
  
  第一話 夭死相と謎の仙人
  第二話 延命への秘策伝授
  第三話 地獄の釜焚き労役
  第四話 入門志願と難試練
  第五話 邪道士と恐怖の館
  第六話 呪詛打ち返しの法
  第七話 指なし娘の因縁譚
  第八話 赤子を喰らう老婆
  第九話 仙姫の誘惑と改心
  第十話 忌まわしき修道観

後編 牡丹の余薫 

  第十一話 新しき家族の門出   
  第十二話 牡丹燈籠と美少女
  第十三話 燃え盛る鬼火の怪
  第十四話 蠱惑の骸骨と逢瀬
  第十五話 呪われた家系奇談
  第十六話 哀れ人面瘡の叫び
  第十七話 幽霊を娶る男の話
  第十八話 現幽一如の相愛劇
  第十九話 蘇生した死者の涙 


 
 天から新たに命を授かった杜子春は、さっそく心機一転これからは真面目に働いて暮らそうと、米塩の資を得る為にあれこれ苦労して仕事を探した。けれど も、さんざん放蕩に明け暮れた彼のそれまでの素行は、都中に知れ渡っていてもっぱ専らの評判であったから、誰ひとりとして杜子春を雇おうとする者などいな かった。
 人間とは随分と薄情なもので、杜子春が大金持ちであった時には、さんざんおべっかを使ってついしょう追従していた連中も、彼が財産を浪費 し尽くしてす素かんぴん寒貧になった途端、掌を返したように見向きもしなくなった。結局は、どんなに金にものを言わせて威勢を誇ってみたところで、しょせ ん所詮彼などや夜ろう郎じ自だい大に過ぎなかったわけである。
 全く食べてゆく目処も立たぬまま、杜子春が腹をすかして街の路地裏をふらふらと彷徨っていると、ふいに何処からともなく気味の悪い形相を した小柄な男が現れて、哀れな凋落の運命を辿ったこの若者の様子を、まじまじとな嘗め回すように見つめてから、ほく北そ叟え笑んで訊いた。
「どうしたね、兄弟。やけに景気の悪い、しょぼくれた貌をしているじゃないか」
「どうもこうも、あるものか。仕事も見つからず、毎日食うや食わずの乞食暮らしなのさ。此れから一体どうして生活していったらよいやら、すっかり路頭に迷ってしまったというわけだ」
 杜子春は、忌々しげにそう答えると、ふうっと大きく歎息した。
「おやおや、それは可哀想なこった。ところで、それならば兄弟、このおいらのもとで奉公する気はないかい。そうすりゃ、けっして食うには困らないように、してやろうじゃないか」
「えっ、本当かい。いいとも、願ってもない話じゃないか。毎日ひもじい思いをせずに飯にありつけるのなら、どんな仕事でも屹度巧くやってみせるさ。宜しく頼むよ」
「よしきた、それなら話は決まった。では早速、おいらの後をついて来るがいいさ、なあ兄弟」
「俺は杜子春という者だが、あんたは何という名前なんだい」 
しかし、何故か男は名乗ることをせずに、そのまま押し黙って杜子春を寂しい場所へと案内した。そして、暗い森の奥へと入って行った。
 途中で男の髪が風になび靡いて、頭のてっぺんに隠れていた不気味な一本の角が顕わになった時、杜子春は思わずぞっとして背筋が寒くなった が、折角得た職を今さら投げ出してしまうのも惜しい気がして、ここはうんぷてんぷ運否天賦とばかり、怖さを我慢してつ随いて行くことにした。
 やがて洞窟までやって来ると、男はさらに杜子春をその中へと連れ込み、どんどん暗がりの先へと進んで行った。洞窟の奥は地面のずっと下方へと向かっていた。ようやく穴から出て見ると、そこには思いがけなく大きな沼が広がっていた。
 
男は杜子春を連れて、岸辺に泊めてあった小舟に乗り込んだ。
「うわあ、水面が夕陽で真っ紅に染まっていて、何て綺麗なんだろう」
 杜子春は感歎して、掌で沼の水をすく掬ったが、すぐに悲鳴をあげながら慌ててそれを捨てた。
何処からも夕陽など照っておらず、実際には其処はどろどろとした血の沼だったのである。
「こ、ここはいったい何処なんだ。俺をどうするつもりなのだ」
 杜子春が激しい不安に駆られて、悲鳴ともつかない声で叫ぶと、男はせっせと舟のかい櫂を漕ぎながら、いとも素っ気なく答えた。
「ここは地獄の入り口だよ、兄弟。さっき潜って来た洞窟はあん闇けつ穴どう道と呼ばれていてな、しゃ娑ば婆と地獄界とを結ぶ通路だったのだ。おまえさんには、これから地獄の刑場で働いてもらうのさ」
「地獄だって――
 杜子春はすっかり動転して、どうしてよいのか分からぬままに、舟上で居ても立ってもいられず、意味もなくただ右往左往した。
 そんな杜子春の困惑ぶりを尻目に、男はさも愉快げに挽歌らしきものを口ずさんだ。

   薤上の朝露は 何ぞ晞き易き
   露は晞けども 明朝還た復た滋けんも
   人は死して一たび去らば
   
何れの時か帰らん

 沼の水面をよく見ると、波間のあちこちから地獄の亡者らが、頭を出したり引っ込めたりして溺れながら、歯噛みをしたり苦悶の叫びを繰り返したりしていた。杜子春は思わず気分が悪くなり、激しくグワワッと何度も嘔吐した。
「おやおや、舟酔いかね、兄弟。そんなに舟は揺れていない筈なんだが」
 男はそう言って、薄気味の悪い含み笑いをした。
 実は何を隠そうこの小柄な男の正体は、地獄で獄卒をして働いている小鬼なのであった。小鬼は地獄での仕事が多忙な折から、働き手不足を解 消するために、娑婆から手頃な人間をうまくまるめ込んで引っ張って来ようと、地上へ出掛けて行ったのだった。そして、まさにおあつら誂え向きの若者を見つ けて来たというわけである。
 
鬼は自分の名前を相手に知られると、つうりき通力を失ってしまうので、杜子春が尋ねてもけっして名乗らなかったのである。そんなこととはつゆ露知らず、杜子春は何の疑いも持たずに小鬼に従い、いつの間にやら地獄界に引きず摺り込まれてしまったのだった。
「心配はいらないさ、なあ兄弟。大船に乗ったつもりで、安心しておいらに一切を任せておけばいいのさ。けっして悪いようにはしないから。おっと、大船ではなくて、これはほんの小舟だがね」
 もはや広大な沼の真ん中では、どうすることも出来ず、杜子春は大きな不安と恐怖を胸に、運を天に任せて黙って小鬼に連れられて行くしかなかった。

 やがて小舟は、薄闇に包まれた岸辺へと着岸した。うらぶれた船着き場から臨める殺伐とした荒地には、地獄に堕ちた亡者どもの刑場が、あちこち点在しているようであった。
 折しも岸辺に一そう艘の輸送船が着岸すると、きょう経かたびら帷子のような装束を身にまと纏い、鎖につな繋がれた多数の亡者らが、鬼の獄 卒らに追い立てられるようにして次々と上陸して来た。亡者達のどの貌にも陰鬱な深い翳りがあって、手枷と足枷によりすっかり自由を奪われたその姿からは、 重苦しい悲壮感ばかりが漂って来る。
「あの人たちは地獄の囚人なのかい」
「ああ、そうだとも。人間は誰であっても肉体の死を迎えると、有限のけいはく形魄は元素に戻るのだが、朽ちることのない魂は永続して、それ ぞれ現世における生前の言行と心のあり方に相応した霊域へと移行して行くのだ。そして、あてが宛われた界層を足場として、いろいろな修行を積みながら次第 に霊魂を浄化させ、より高位の霊界へと昇華しながら、やがてまたりんね輪廻てんしょう転生を繰り返しつつ、どこまでも進歩を続けて行くものなのだ。霊域に は人間の想念に応じて、実に千差万別のさまざまな種類の世界が展開しているが、ここけいばく繋縛不自由な地獄界こそは、最も厳しい心魂の浄化修行の場と言 えよう」
 それから小鬼は杜子春を連れて、何やら得体の知れぬ不気味な小生物がうようよとうごめ蠢く、湿った暗がりの大地を進んで行った。
「さあ、喰え、もっと喰え!」
という怒号が聞こえたので、杜子春が驚いて声のする方向へ目をや遣ると、恐ろしい形相をした鬼たちが多数の亡者らの口元へ、真っ赤に焼けた岩石だの汚物だのを無理やり押し込んでいるところであった。
亡者らの喉はジュウジュウと音を立てて焼けただ爛れ、腹は見る間に太鼓のように膨れあがって、やがてついには破裂してしまうのだった。それでも鬼たちは容赦せず、けっして責め苦をやめようとはしない。
「あれは現世において貪欲の限りを尽くした、利己的な性根をした連中の、無惨ななれの果てだ。奴らは己の欲望のままに、金や財産を貪ること にしか生き甲斐を見出せなかったために、死んでからも文字通り、とんだ代物を貪り喰い続けなければならない責め苦を負わされているのだ」
 小鬼の説明に、杜子春はさながら自分のことではないかと思って戦慄した。
 しば暫らく行くと今度は、
「さあ、吐け、もっと吐け!」
という怒鳴り声がしたので、杜子春がそちらをまた見やると、鬼たちが亡者らの口の奥に手を突っ込んで、胃袋の中身を強引に吐き出させている ところであった。すっかり吐き出す物がなくなると、鬼たちは情け容赦なく哀れな囚人らの胃袋や腸やその他の内蔵をことごと悉く、次々と口から引っ張り出し てしまうのだった。
「あれは現世で浪費家と呼ばれ、財産を費やすことしかしなかった、どうしようもなく怠惰な連中だ。自らの手で地道に稼いで蓄えることなど いっさい行わず、放蕩の限りを尽くしたために、死んでからもああして自身の持てる物の全てを、激しい苦痛とともに吐き出し続けなくてはならない目に遭わさ れているのだ」 ??
それからまた先へ進むと、肉の焦げるような強烈な異臭が杜子春の鼻をついた。
見ると多数の亡者らが、地面に何本も立つ真っ赤に焼けた太い鉄柱に抱きついて身体を焦がしながら、悲鳴をあげているではないか。離れようとしても体の皮膚と肉が、焼けた鉄柱にべったりと付着してしまっていて、どうしても逃れることが出来ずにいる。
 ふと見やると、いつの間に何処から出現したのか、複数の見目麗しい半裸の美女たちが媚びを売りながら手招きすると、どっと別の亡者らがまるで獲物に群がる獣のように、本能のおもむ赴くままに次々と彼女たちに飛びついては、激しく抱擁を試みるのであった。
ところが、次の瞬間には艶やかな美女の幻影は虚しく消え失せ、抱き締めたと思った豊満な肉体は、残酷にも真っ赤に焼けた灼熱の鉄柱へと化していた。
「あれは本能的な欲情のままに男女の遊戯に溺れ、道を踏み誤ってしまった輩が負わされる、浄化の為の苦行なのだ」
あまりに凄惨な光景に、思わず杜子春は両手で貌を覆ってしまった。しかし、現世とは異なり、霊域ではどんなに貌を覆っても、目をきつく閉じても、不思議なことに全く視界が妨げられることはなかった。
 杜子春は、それら色欲に耽った亡者らはもちろん、先程の貪欲家にしろ浪費家にしろ、いずれもまるで自分自身の他界後の末路を見ているようなじくじ忸怩たる思いに、強く苛まれずにはいられなかった。
 その他にも道すがら、火の海で焼かれたり、剣の山を登らされたり、刃物で身体を刻まれたり、臼でひ挽かれたり、熊鷹に目玉をく刳りぬ貫か れたり、毒蛇に脳味噌を吸われるなど、ありとあらゆる残酷な刑に苦悶する罪人たちを、杜子春は耐え切れぬほどの悲痛な思いで見なければならなかった。
「それにしても、既に肉身を失った筈の死後の世界において、どうしてあのように現世と変わらぬような肉体的な苦悶が存在しているのだろう」
 杜子春のそんな素朴な疑問に、小鬼が答えた。
「めいかい冥界においては、人間の主観的な想念そのものが忽ち鏡像となって、自身を取り巻く環境を客観のものとして実現してしまうのだ。そ れは、あたか恰も夢を見ている人間が、その夢の中で身体を傷つけられたり焼かれたりするのを全く現実そのものと見做してしまうのと同様の理屈で、たった今 ここに展開している地獄絵図そのものの苦界にしても、彼ら罪人たちが現世から持ち越した欲望や憎悪などの汚辱に満ちた悪想念が、そのまま宇宙の法則に従 い、己の境遇となって凝結し顕現した姿に他ならない。誰が罰しているのでもない、他ならぬ己自身の不調和な想念が原因となって、恰もまゆ繭に籠もるさなぎ 蛹のように、自己の霊的環境を悲惨極まりない世界へと築き上げてしまったのさ。
 まさしく人間とは、己自身の環境の創造主であると言えよう。その意味からしても、地獄とは神仏によらず人間自身によって形成されているも のであることを強調しておこう。おまえが心に思い描く想念が存在しているのと同義において、確かに地獄界はこうして現実に存在してはいるが、宇宙の実相か らすればそれはけっして真の実在ではなく、人間の誤った創造的想念が生んだ迷妄空間(幽界)にすぎない。それは特定の場所という意味合いのものではなく、 い謂わば或る低次の意識状態のことなのだ。
 実際、彼ら地獄の囚人らを助けようとして、他の境域へと連れ出して苦界から移動させたとしても、自らの意識によって全く現今と同様の地獄 世界を創造してしまうだけであるから、何ら解決にはならない。彼ら自身の意識がより高次の清浄なものへと昇華するのでなければ、根本的な救済はけっして望 めないのだ。もはや肉体など存在していないのに、血と肉にまつわる闘争や苦痛や快楽への執着の想いが滅却しない限り、死後の世界でその想念はまさしく現実 のものとなって身辺に形象化し、ああして自らの創造する奈落の囚人となって苦しみ続ける他はないのだ。
 現世での肉体的苦痛には死による五感の終焉という救いがあるが、ここ冥府では本人が精神的に覚醒し神仏の子としての永遠の真我を見出さぬ 限り、その苦悶には終わりがない。夢から覚めぬうちは、悪夢はいつまでも続くというわけだ。人間にとって自我意識こそが地獄の異名であるとされる由縁だ が、やれやれ、それにしてもむみょう無明ちょう長や夜を彷徨う愚かしい人間どもの何と多いことか。こっちは仕事だと自分に言い聞かせて、そんな莫迦みたい な光景を毎日飽かずに辛抱強く監視しちゃいるものの、時々あまりの人間のざいあく罪悪じん甚じゅう重な魯鈍ぶりに、つくづくや遣り切れなくなっちまう事 だってあるさ。実際見ていて、幾千万回も溜息が出るほどなんだぜ」
 それきり小鬼はもの物う憂げに口を閉じてしまったので、杜子春も黙るしかなかった。

 二人して何処までも暗がりの道を進むと、やがてびょう屏ぶ風のように切り立った巨大な岩蔭にある窪地までやって来た。
「さてと兄弟、ようやくおまえさんに働いてもらう場所に到着したぜ」
 その岩場には、人間がちょうど一人ずつ収まるほどの大きさの釜がずらりと千個程も並んでいて、釜の底にはたきぎ薪がくべられ、真っ赤な炎を上げて燃え盛っていた。
 さっそく小鬼は、杜子春に仕事の内容を説明した。
「いいかい、ここに並んでいる全ての釜には、現世において罪を犯した悪人どもが押し込められて、熱湯に浸されているんだ。つまり釜茹での荊 に処されている訳なんだが、それらの釜の火が消えないように、しっかりと番をするんだぜ。見ての通り、たくさんの釜が並んでいるが、悪人が犯した罪の大小 によって、くべる薪の量がきちんと決められているのさ。そら、罪状と刑罰の程度を記した責め苦の執行指示書が、ちゃんと釜の傍らの立て看板に張り付けてあ るだろう。その書類に則って、刑罰で指示された通りの薪の量をくべて火を絶やさぬようにするのが、おまえさんの仕事なのさ」
 地獄の刑場に、所狭しと置かれたたくさんの釜からは、悪人たちの発する凄まじいばかりの苦悶の悲鳴が、引きも切らずに騒がしく聞こえ、まさにあびきょうかん阿鼻叫喚そのものの状態であった。
「ところで、他に適切な表現がないから、やむを得ずして罪に対しての刑罰という言葉を使ってはいるが、実際には罰などと言うものは地獄界の 何処にも存在しない。宇宙のカルマ因果の法則に従い、人間どもがそれぞれ裡なる良心の鏡に照らして、つまりは己自身を裁いているだけなのだ。 ?
 正義の法則から逸脱してしまった不調和な三業、つまり想念と言葉と行為の分だけ、結局は見ての通りいずれは必ず苦行の運命となって己自身 へとは撥ね返って来るのだ。それが何人といえど雖も逃れることの出来ない、天地を貫く普遍的な因果の法則なのだ。けっして神仏が罪人を罰しているわけでは なく、人間どもが勝手に己自身の蒔いた種子を刈り取っているに過ぎない。ひっきょう畢竟するところ先程も言った通り、地獄界というのは実は人間自身が創り 出しているのだぜ。
 おいらたち地獄の獄卒の仕事は、外見上は亡者たちを苛めているように見えるかもしれないが、実はただ単に人間どもの身に生ずる因果応報の 道理を明らかなものとし、粛々と法則を履行しているまでのことだ。おいらたちはけっして悪者などではなく、むしろ天の法の厳格な執行官であると言うこと を、どうか覚えておいて欲しいね。
おっと、それから大事なことを忠告するのを忘れていた。いいかい兄弟、たとえどんなことがあっても、一度だって釜の蓋を持ち上げて中を覗き込んだりしたら、只では済まないよ。けっしてそんな馬鹿な真似だけはするんじゃないぜ、分かったかい」
「どうして釜の中を覗いてはいけないのさ」
「それはつまり、もしも自分の貌見知りの人間が釜茹でにされていたとして、つい同情して火の燃え具合を手加減するようなことがあってはならないからだ。ここでの作業は、とにかく私情を交えずに公明正大に遂行されることが大事だからな」
「ああ、なるほど。そう言うことなら、よく分かったとも。任しておくれよ、屹度厳正に職務を実行してみせるさ」
「そりゃ、頼もしい限りだね。それじゃ、おいらはちょいと休憩してくるから、あとは任せたぜ。まったく、うってつけの働き手が見つかったものだなあ。これで、やっと少しは楽が出来るというものだ」
 そう言って小鬼が喜んで小躍りしながら行ってしまうと、さっそく杜子春は命じられた仕事に取り掛かった。
 それぞれの釜ごとに指示された刑罰執行の書面を確かめながら、せっせと決められた量の薪をくべて回った。その度ごとに、釜の中でぐつぐつ と熱湯で煮られている悪人たちが、もの凄い悲鳴を上げながら助けを請うたが、杜子春は敢えてそうした叫びに心を動かされないよう気をつけて、かまわずに火 をか掻き立てた。
「済まないが悪く思わないでおくれよ、これも仕事なのでね。もっとも、あんたがたにとっては自業自得ってもんだろうから、呪うなら自分自身が生前に犯した悪行の数々を呪うがいいさ。もしもこの俺を呪ったりしたら、それは逆恨みというものだ」
 そのうちに杜子春は、次第に薪をくべるだけの単調な作業に飽きてきた。小鬼からけっして釜の中を覗いてはいけないと警告されたのに、どうしても好奇心から覗いて見たくて我慢が出来なくなった。
「どうれ、釜の中でもが_いている悪党どもの泣きっ面を、一目だけでも拝見したいものだ。なに、ほんのちょっとだけならば、お咎めもなかろう」
それで、思い切って目の前にあった釜の蓋を、こっそり持ち上げて、とうとう中を覗き込んでしまった。
「おやおや、これは何たる奇遇だ。まさか、こんな場所であんたと再会しようとはな」
 ぐつぐつと煮え立つ熱湯に浸けられ、目を白黒させながらもが藻掻き苦しんでいる人物に、杜子春は確かな見覚えがあった。
「おまえこそは、いつぞや、この俺に言葉巧みに商売の儲け話を持ちかけ、その挙げ句に信用して手渡した大金をごっそり騙し取って逃げた、赦 し難くもろうかい老獪なあの詐欺師に違いあるまい。おまえのような嘘のかたまり塊みたいな人間が死んだら、絶対にいい世界へは行ける筈がないとは思ってい たが、そうかやっぱり地獄に堕ちたのだな。
ふん、ざまあ見ろってんだ。やい、こいつめ、釜茹での荊が苦しかったら、俺から騙し取った大金を今ここで耳を揃えて返しやがれ。そして罪の 懺悔を魂の底から、百万遍も大声で繰り返し絶叫してみろ。それが出来なければ、騙し取った大枚の数に利子をつけた分だけ、さあ薪の業火をたっぷり喰らうが いい」
 杜子春はそう一気にまく捲し立てると、怒り心頭に発して釜の蓋を閉じ、恨みつらみのお返しとばかり、どっさりと余分な量の薪を火にくべた(第三話 地獄の釜焚き労役より)。

 
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