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聖者シリーズ

『セレブレーティング サイレンス』─沈黙を祝う─
   

ラビ・シャンカール著/シュミッツ千栄子訳
ISBN4-86103-001-3 C0014
四六判並製 初版/2003年5月
1800円+税
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「質問のなかには沈黙のなかでのみ答え得るものがあります…あなたの魂は沈黙の結晶であり、この沈黙の結晶こそが英知であり、智慧なのです」─シュリ・シュリ・ラビ・シャンカール


【目次】

第一章 自分を変える
五感 習慣 悪徳 欲望 執着 渇望 恐れ 過ち 疑い 混乱 非難 怒り 否定性 抵抗 葛藤 攻撃性 暴力 落ち込み 死 惨めさ 悲しみ 問題 エゴ 忍耐判断 敵 懐疑主義 嫉妬 屈辱 無礼 駆け引き 嘘 尊敬 忠実 称賛 評価 感謝 債務 徳 敏感さ 思いやり カルマ 憐れみ 愛 マヤ 常に変化する世界公平無私 信じること 真理 完全

第二章 あなたというゴールへ至る道
真の祝い 寛容 セバ奉仕 犠牲 簡素 バランス 委ねること サダナ霊的修行 探求者 サットサンガ バジャン 自由 規律 智慧 スピリチュアルマスター 祝福

第三章 あなた、神、彼方
自然 法則 至福 献身 組織 依存 宗教 神 本来の自己(Self) 創造主の宿主 天使 多の中の一なるもの 啓発 マインド 超越 意識 神の棲家 無限 沈黙


 
 群集のなかで孤独を感じるのは無知です。群集のなかで一体感を感じるのは英知の印です。群集のなかで一人あることは悟りです。
  生に関する智恵はあなたに自信をもたらし、死に関する智恵は恐怖を取り除き、安定をもたらします。
  群集のなかにいるとき祝うことができる人もいれば、一人沈黙のなかでのみ喜びを味わえる人もいます。私はあなたがどちらの場合にも祝えるようになってほしいのです。一人でいるときも祝い、人々と共にあるときも祝うのです。
  沈黙を祝い、また騒音をも祝います。
  生を祝い、そして死をも祝います。
インド、ニューデリー
1997年3月13日

五感
  五感は火のようなものです。あなたの人生もまた火のようです。あなたが五感のなかに投げ入れたものはそれが何であろうと燃え上がります。もしあなたがタイヤを燃やすなら環境を汚し、悪臭を出します。しかし、サンダルウッド(白檀)の木を燃やすと芳しい香りが漂います。燃やすものによって、周囲を汚す場合もあれば浄化する場合もあります。
  かがり火のまわりでは祝いがあります。火葬の火のまわりでは悲しみが生じます。冬には命を救う火も、時には破壊をもたらします。
  あなたも火と同じです。あなたは煙を出して周囲を汚す火、あるいは明かりと芳香をもたらす樟脳の火でしょうか? 聖者は光と愛の香りをもたらす樟脳の火であり、生命の友です。
  最高品質の火は光と暖かさをもたらします。中品質の火は光をもたらしますが、同時に煙も出します。低品質の火は煙と闇だけをもたらします。それらの火の違いを識別できるようになりなさい。もしあなたの五感が良いものと関わるなら、あなたは光と芳香を生み出すでしょう。しかし、不純なものと関わるなら煙と闇を生み出します。あなたの中の火の質を変容させるのはサムヤナ(瞑想)です。
カナダ、ケベック州モントリオール・アシュラム
1995年7月24日

習慣
  あなたはいかにしてヴァサナ(印象)から自由になれるでしょうか? これは悪習慣から抜け出したいと願うすべての人々が抱く問いです。
  あなたは悪習慣から自由になりたいと願っています。なぜなら、それらが苦しみをもたらし、あなたを拘束するからです。人生に生き生きとしたもの、あるいは活力が欠けているとき、あなたは習慣の奴隷となります。ヴァサナの本質とはあなたを悩ませ、拘束することであり、自由になりたいと願うのは生の本質です。生は自由を求め、魂が自由になる方法を知らないとき、その魂は自由を求めて多くの転生を通じてさまよい歩きます。
  習慣を打ち破る方法は誓い、あるいはサムヤナ(瞑想)です。
  誰もがある程度の瞑想の資質を与えられています。あなたの生命力に方向性が与えられると、サムヤナ(瞑想)によって習慣を克服することができます。
  マインドが悪習慣という無用な思考の中にあるとき、二つのことが生じます。まず、あなたの古いパターンすべてが浮上し、あなたはそれによって落胆します。自分自身を責め、少しも成長していないと感じます。
  次に、その悪習慣を瞑想のための機会であると考え、喜びます。サムヤナ(瞑想)なくして人生には喜びもなく、病気から開放されることもありません。あなたはアイスクリームをたくさん食べるべきではないと知っています。なぜなら、病気になるからです。そのような放縦を防止するのがサムヤナ(瞑想)です。
  誓いには期限が必要であり、また誓いを立てる時間と場所も考慮に入れるべきです。例えば喫煙の習慣がある人が、ただ「私は禁煙する」と言うとします。でも禁煙できません。しかし90日間禁煙するという、期限付きの誓いを立てることはできます。もしあなたに悪口雑言の癖があるなら、10日間は悪い言葉は口にしないという誓いを立てなさい。一生の誓いを立てても無駄です。直ちにそれを破ってしまいます。もし万一期限前に破ってしまっても心配することはありません。もう一度始めるのです。それがあなたの本質となるまで、徐々に期間を延ばして行くのです。
  あなたを悩ませ苦しませるあらゆる習慣、それらを誓いとサムヤナ(瞑想)で縛り付けてしまうのです。
アメリカ、コネチカット州ブルックフィールド
1995年7月30日

悪徳
  もし悪徳に打ち勝つことができないなら、その悪徳を拡大しなさい。心配、プライド、怒り、煩悩、貪欲―それらを拡大し、別の方向に向けるのです。些細なことで怒ることにどんな利点があるでしょうか? 無限なものについて、ブラフマンについて怒りなさい。もしあなたがプライドから自由になれないのなら、神を所有することにプライドを持つのです。貪欲さに悩んでいるのなら、貪欲にサットサンガを求めるのです。渇望が絶えずあなたにつきまとうなら、真理を渇望するのです。もし絶えず嫉妬で苦しんでいるなら、セバ(奉仕)に嫉妬するのです。嫌悪するものを逆にするのです。グルに執着しなさい。神に酔いなさい。
インド、リシケシ
1997年4月3日

欲望
  感覚的快楽への欲望は本質として電気的なものであり、それらの欲望はあなたの五感の対象に向けて動くにつれ、中和されます。
  もし自らの欲望をあなたのなかで、あなたの存在の中心に向けて深く移動させることができるなら、永続的快楽、スリル、至福、尽きることのない愛というもう一つの次元があなたのものとなるでしょう。煩悩、貪欲、パワー、嫉妬は、それらがエネルギー以外の何ものでもないので強力です。その理由は、あなたがそのエネルギー、つまり純粋なエネルギーの源だからです。献身と帰依はあなたの電気的エネルギーの純粋性を保ち、あなたを上昇させます。
  ひとたびあなたが快楽あるいは電気的エネルギーであることを理解するなら、あなたの渇望は鎮静し、静けさがやってきます。自分がいつか死ぬということを思い出すと、あなたは今に生きるようになり、渇望や嫌悪の情から開放されるでしょう。
イタリア、ミラノ
1998年1月7日

執着
  クリシュナとはもっとも魅力的という意味です。彼は神であり、すべてをその周囲に引きつけるエネルギーです。クリシュナとはあらゆるところに存在する形なき中心です。あらゆるところにあるすべての魅力はクリシュナからのみ来ています。
  人々はしばしば魅力の背後にあるスピリットを見ることなく、外側の殻にのみ執着しがちです。そして殻を手に入れたと思ったときクリシュナの策略に気がつき、あなたの両手には空っぽの殻だけが残され、目には涙が流れます。
  クリシュナに騙されないようにしなさい。ラーダのように賢くなるのです。クリシュナはラーダから逃れることができませんでした。なぜなら、彼女の世界全部がクリシュナで満たされていたからです。魅力あるところにはクリシュナがいるという事実を理解することができれば、そのときあなたはラーダであり、あなたは自分の中心にいるのです。
  マインドは美、喜び、真理に向かって動きます。クリシュナはアルジュナに向かって「私は美しいもののなかの美であり、強いものにおける力であり、賢いものにおける英知である」と語っています。このようにしてクリシュナは、自分の中心から離れようとするマインドを捕らえるのです。
オランダ、ロッテルダム
1995年8月16日 

渇望
  渇望は快楽を求める心から来ます。しかし、実際に快楽を体験しても、それに関する記憶ほど楽しくはありません。あなたが世俗的な考えを求めようと聖なる考えを求めようと、それらはどちらもあなたに快楽をもたらします。世俗的な考えはあなたを放縦に導き、その結果あなたは快楽から失望、そして落胆へと落下していきます。聖なる考えはあなたを快楽から至福、知性、そして人生における成長へと上昇させます。世俗的な考えは記憶としてのみ快楽をもたらしますが、聖なる考えは現実となります。

質問 「聖なる考えとはどのようなものですか?」
ラビ・シャンカール 「私は肉体ではない。私は至福であり、サッチタナンダであり、私は制限なき空間である。私は愛である。私は平安である、私は光である。」

質問 「世俗的な考えとはどういうものですか?」
ラビ・シャンカール 「世俗的な考えとはお金、セックス、食べ物、権力、地位、そして自己イメージなどに関するものです。」

 真理は世俗という金色のベールによって隠されています。このきらきら光る薄いベールを突き破り、自分が太陽であることを知るのです。
カナダ、ケベック州、モントリーオール・アシュラム
1997年7月2日

(第一章 自分を変えるより<抜粋>)

 
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