クラウス・モンク・プロム著/下宮忠雄訳/幡井勉日本語監修
ISBN4-86103-036-6 C0023
4/6判・並製
定価 本体2500円+税
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江戸を生きた青い目のサムライウィリアム・アダムズ(三浦按針)の数奇なる生涯の伝記。
一五四三年に最初のヨーロッパ人(ポルトガル人)が日本に到着し、キリスト教の日本での宣教とヨーロッパ人との貿易が始まった。一五九七年にキリスト教に対する禁止令が出され、キリスト教徒に対する弾圧が始まった。一六〇五年にはポルトガル人とスペイン人が日本で貿易を行うことが禁じられるが、同時に、オランダ人とイギリス人は日本に貿易センターを設立する許可を得る。一六三八年以後、キリスト教に対する全面禁止が厳格に施行され、日本はそれとともに「鎖国」になった。一六四〇年に外国に対してふたたび開国するよう政府を説得するために来日したポルトガル使節カルヴァーリョが、日本人に処刑された。日本は鎖国状態が続いたが、一八五四年、アメリカとの貿易が開始され、一八五五年にはイギリスとの貿易も始まった。
日本が一六〇五年にオランダとイギリスの商人に開国したのは、オランダ船リーフデ号[訳注:liefdeは「愛」の意味]が一六〇〇年四月一九日、日本の海岸に漂着して、いま佐志生(サシウ)と呼ばれる港に入港したときだった。リーフデ号の航海士はイギリス人ウィリアム・アダムズだった。ウィリアム・アダムズは一五九八年、マゼラン海峡を経由して東インドへの海路を発見する目的でオランダを出航したオランダ船五隻の一つに雇われた。ウィリアム・アダムズは、いろいろな点で、日本の歴史に役割を演じることになり、のちに、日本の国内外で歴史家や作家の関心を呼んだ。今日では、彼の記念碑が日本では数個所に建てられており、イギリスでは彼の郷里であるジリンガムにも記念碑が一つ建てられている。 ウィリアム・アダムズを読んでゆくうちに、彼は私にとって生きている人間になっていった。予期に反して日本に抑留されたにもかかわらず、彼が生き抜く術を学び、日本が急速に発展しつつある時代に、一つの役割を演じるにいたった次第を読むと、ぞくぞくするような感動を覚える。
ウィリアム・アダムズは、彼自身が書いた手紙の中で、また彼をとりまく環境の中で、複雑な人物として登場する。偉大なエゴイスト、頼りになる人間、将軍への助言者、亡命中のイギリス人……。生涯の最後にはキリスト教への信仰を表明するが、将軍への助言によって日本におけるキリスト教の宣教に対しては、害を与えた。というのは、ウィリアム・アダムズは、当時の多くのイギリス人と同様、プロテスタント(新教徒)であり、日本での宣教はカトリック(旧教)であった。ポルトガルの宣教師はウィリアム・アダムズが日本に来たとき、彼を歓迎しなかったのである。
ウィリアム・アダムズは「日本人」として受け入れられることに成功した。日本女性と結婚したが、イギリスの妻と二人の子供を忘れたことは決してなかった。多くの日本の習慣を身につけ、サムライとなり、日本で領主になった。しかし、心の中では、いつも祖国への郷愁を忘れぬイギリスの船乗りであった。
本書を執筆中、私は多くの人から貴重な助言と支援を受けた。私が感謝したいのは、まず、妹尾左知丸氏(岡山)、その秘書の西本修子氏、私の日本滞在中、住居を提供してくれた高坂睦年氏(岡山)である。
私は幡井勉氏(東京)にも心から感謝せねばならない。幡井氏は自分で撮影した種々の写真を提供してくれた。
伊東市の観光協会会長・牧野正氏は長い間ウィリアム・アダムズを研究し、彼について何冊もの本を書いた方だが、彼は私のために入手困難な写真の多くを調達してくれた。コペンハーゲン大学のオロフ・リディン教授は私の原稿を批判的に読んで、有益な助言を与えてくれた。これらの方々にも感謝を申し上げたい(著者まえがきより)。
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